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【見られること】

2009年に、障害者郵便割引制度を悪用したとして、村木厚子さんという厚生労働省の局長が逮捕起訴されました。
その後、この事件を担当していた主任検事が証拠改竄で逆に逮捕され、村木さんは無罪となりました。
その元検事・前田恒彦被告に対し、先日、懲役1年半という実刑判決が出ました。

この事件について、報道で知る限り前田恒彦被告は事実関係を争っておらず、全面白旗の状態です。
十分に反省しているものと想像しますが、それを差し引いたとしても、1年半という量刑は何とも軽い、というのが私の第一印象です。

だって、主任検事が自分で改竄したフロッピーディスクを証拠にして裁判してたんでしょ。
滅茶苦茶な話じゃあないですか。

権力者と呼ばれる存在の中でも、国会や内閣にいる政治家たちは常に高レベルの批判対象になっています。
つまり、「見られて」います。
それに対し、司法界にいる裁判官や検事たちはいわば野放図状態。
「見られて」いません。
「見られること」について両者のあまりにも酷い格差は、日頃から不満を持っていました。

公権力は批判されるべきでありましょう。
実際、政治家に対しては、議会内での仕事とは明らかに無関係な過去の醜聞に対しても、容赦ない報道姿勢が感じられます。
司法にはそれが全くありません。

この検事さんは、作曲家の小室哲哉さんの巨額詐欺の事件もご担当だったようです。
その意味では、音楽業界の「浄化」にも貢献してくださいました。
もし、「自分は常時見られている」という緊張感を持っていたならば、不幸な事件は防げていたような気がするのですが…。

2011/04/21 杜哲也