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【第109回/“公平中立”はありません】

電波を扱う放送事業者は、常日頃から「公平中立」を謳っています。
これは間違いなく「偽善」です。

一番証明し易いのは、政治と宗教。

その番組に、政府寄りの人が出演していれば、そこには反政府サイドの人も同席させます。
とある宗教の教義を後押しする発言があれば、別の宗教信者にも発言の機会を与えます。
放送事業者は、そんなつまらないことに気を遣いながら、公平中立の「アリバイ作り」をします。

お気の毒…としか、言いようがありません。
人間の本質を理解してないのです。
そんなことで、「公平中立」が保たれるわけないじゃないですか。

人間は、各々の生まれや育ちによって、価値観が大きく異なります。
その価値観は、当然ながら、賛同者の多い少ないには左右されません。
それは正にその人のアイデンティティであり、一生変わることはないのです。

人間は、この世で生きている短い間、それら(=価値観)を共有出来る人のと出会いを求め続けます。
誰しも、自分の信じる価値観に対して「イエス」と言ってくれる社会を作りたいのです。
特に身近な人には、自分の価値観から外れることを許さないのです。
人間なんて、そんなちっぽけな生き物ですよ。

「公平中立」というのは、そんな本質から目を背けて、上辺だけ取り繕う「生活の知恵」に過ぎません。

その点、雑誌や新聞はカラーが(少しは)明確です。
そして、表現活動はもっと明確です。
我々は、明確なカラーを打ち出すコンテンツをしっかりと吟味して、選んだり選ばれたりする日々を送るだけなのです。

「公平中立」がどれだけ空虚で馬鹿馬鹿しいか…。
もう、いい加減、気付いて欲しいです。

===============2019/08/16 杜哲也



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