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【第113回/“理解し合えない”が前提】

残念ながら…なのか、当然ながら…なのか、は見方次第。
少なくとも、還暦まで1年少々となった私には、「理解し合える」という前提に立つよりも、こちらの方が心穏やかに暮らすことが出来るのです。

そしてこれは、決してネガティブな発言ではありません。
例えば、平和のために武器が必要…という人と、武器は不要…という人、双方が世の中には(どうしても)いるのです。
両立するはずのない両者が、今日も明日も共に存在するのが現実です。

そんな対立の場面で、片方がもう片方を抹殺したり排除したりする行動が嫌い…ということです。
つまり、嫌いな奴らとの共存…、人間社会はこれしかありません。
だからこそ人生は辛いものであり、表現活動は尊いものなのです。

私がシンプルで分かり易い表現を好むのは、どう考えても納得出来ない現実に対する答えが、いつも単純で素朴なものの中にあるからです。
(ただし、これを否定する人がいるのも現実。)
いくら偉そうな形容詞を羅列しても、専門知識をとうとうと述べても、人の考えの拠り所となるものは結局2つか3つくらいの単純な事柄だからです。
(そして、これを否定する人がいるのも現実。)

人間は偉くない、これが私の前提。
理解し合えない、これが私の前提。

===============2019/11/26 杜哲也



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