column


【第119回/Spotifyのある生活】

今年の正月、この音楽ストリーミングサービスと契約しました。
以来4ヶ月あまり、自分の生活に起きた大きな変化について書きます。

仕事上、音楽資料を集めることは、常に必要です。
YouTubeのお陰で、CDを求めることはほぼなくなりました。
譜面は、権利切れのものならペトルッチ、流行りものならぷりんと楽譜、で大まか事足りるご時世です。
歌詞も表示されるSpotifyが加われば、鬼に金棒でしょう。

でも、今回お伝えしたいのは、こうした実務上のことだけではありません。

例えば私にとっては、中学でソニーのラジカセ、高校でグレコのベース…これらを手にした時と同じような驚きであり、喜びでした。
ビートルズ、キングクリムゾン、ソフトマシーン、更には、S.ワンダー、O.ピーターソン、C.ミンガス、…これらが、クリックひとつで自分の生活に登場することにより、音楽の感動を思い出させてくれました。

音楽を創るには、音楽のある生活が絶対に必要…ということを再認識しているのです。
例えばそれは、演劇人が劇場に足を運ぶのと同じ。
音楽を創る側の人間が、日頃、どんな音楽に接して、どんな音楽に共感を覚えるか(…または嫌悪感を抱くか)、この経験こそ正に創作の土台にあるべきなのです。

きっかけは、YouTubeに出て来るおびただしい数の不快な広告。
よって、のっけから奮発して有料契約にしています。

私の考える音楽は、生活の中にあります。
「ねぇ、もう一回やって。」
「今度は別の曲、聴かせて。」
こんな他愛ないことの繰り返しにこそ、音楽の原点があるのです。

他愛なくても、繰り返すには自己鍛錬も必要となるので、勉強もします。
そんな人たちが沢山いることによって文化が生まれ、文化を大切にしようとする人たちによって、平和な社会が築かれるのだと信じています。

= 2020/05/05 杜哲也 =



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