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【ハンドル・ネーム】

「ええい無礼者ッ、名を名乗れ~。」
時代劇の1シーンでよく耳にする台詞です。
戦国時代の武将たちが、名乗らず果し合いに臨むなどということは、そもそも有り得ないことだったのでしょう。
現代社会でも、名前をお尋ねする際、「失礼ですが…」という言葉が添えられます。

しかしながら、ネット社会では「ハンドル・ネーム」による情報交換が主流。
これによって、それまで「名前負け」してきた人たちでも、やる気と実力さえあれば、多くの支持者を獲得出来るようになりました。
逆に、意味なく権力を振りかざしてきた人たちにとっては、なかなか辛い時代。
「あの人がそう言うなら…」などと言う甘い状況は、期待出来ません。

音楽は、演奏者の名前や経歴で判断されてしまうことが少なからずあります。
ハンドル・ネームによってそれらが伏せられ、皆一律平等のような状態になると、大衆は一体何を拠り所に判断していくのでしょうか。
こういった状態について、坂本龍一さんが「究極の民主主義」という言葉を使っていました。
私は、人類がその民主主義を受け入れることは不可能だと考えています。
権威への反発である大衆音楽でさえ何らかの「基準」が求められるはずで、これはある種の本能だと思います。

また、立場や名前を伏せて行動出来るということは、とても危険な状態です。
人間には、バレなければ大丈夫…という心が必ずあるからです。
汚い言葉で特定の個人を誹謗中傷したり、極端な思想信条で対立相手を攻撃したり…というページは、ハンドル・ネームなくして成立しません。
これは善し悪しの問題ではなく、人間という存在の弱さを露呈している…と私は考えています。

ところで、私も過去10年間のパソコン歴で、何回かハンドル・ネームを作らされる場面に遭遇しました。
その時に感じたこと…。

どうしても自分と関連のある文字列を作ってしまうのです。
ハンドル・ネームなのですから、本人を特定するものは極力排除すれば良いのでしょうが、これがなかなか難しい。
山下洋輔さんの言葉を思い出しました。
「人はそもそも出鱈目をやり続けられるはずがない。」
いやはや、全くその通り、、、。

2011/11/01 杜哲也