column


【長い話は嫌いです】

何かを伝える時、なるべく分かり易く表現するのは、発信者の基本中の基本でありましょう。
私にとって、分かり易い…というのは、短くて簡潔なものです。

例えば、結婚式のスピーチ、取引先へのプレゼンテーション、駅前の選挙演説、
部下や後輩への叱責、上司や先生へのお伺い、ニュースや社会事象への解説やコメント、
仕事上のメール・電話・会議…などなど、日常生活には長くて喜ばれる表現行為なんてほとんどありません。
当然、音楽もその中のひとつ。

聴き手の皆様は、お忙しい中こちらの話にお付き合いしているわけです。
当方といたしましては、なるべく共有する話題を挟みつつ、飽きない構成を考えるのは当たり前。
そして、その時お伝えすべきことを言い終えたならば、
出来るだけ早く壇上から降りて皆様を解放してあげるのがマナーでありましょう。

そもそも、長い話を「楽しい」と感じる時は、話の中身を知る喜びとは別次元のお話になってしまいます。
中学時代、「レッド・ツェッペリンの初来日公演は4時間に及んだ…」という記事を、とても羨ましく読んだのを覚えています。
これは、ツェッペリンが聴きたい…という人を相手に演奏するわけですから、もう好きにしてください…という感じです。
表現行為の醍醐味は、興味を持ってくれない人にこちらを振り向かせる…というところにあるはずです。

聴き手のことはお構いなしで、半ば選民意識を満足させるだけの高飛車な音楽に巡り合うと、
尊大な口調の演説を聞かされているようで、「早く終わらないかなぁ」という気持ちになります。
そんな時こそ、どこか別の場所で限られた仲間たちと、長~い音楽に浸っていたいのですが、、、。

2011/12/01 杜哲也