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【第18回/議論が下手な件】

議論が苦手です。
しかも、その「苦手」というレベルは、どうやら人並み外れているようなのです。
例えば、口角泡を飛ばして議論している大人たちに挟まれて、何も出来ないでいる小学生がそのまま大人になったような状態、とでも言いましょうか。

国会や地方議会で熱く議論を重ねる議員さんや、「朝まで生テレビ!」のような討論番組でエネルギッシュに発言するパネリストさん達、本当に凄いと思います。
我ながらかなり負い目を感じており、年齢的にもう改善の見込みはない…という諦めの心境です。
以下、「なぜディベート・テクニックが育たなかったのか」ということについて、考えてみました。

どうやら私の頭の中には、議論というものをいくらやっても、人の考え方はそう変わるものではない…という固定観念があるようです。
恐らく、それぞれの立場の人たちは、理由あってその結論に達しているのでしょう。
私だってそうです。
ならば、話しても無駄。
そちらはそちら、こちらはこちらでやるのが世のため人のため。
だって、平和に暮らしたいモン。
…当然、議論は上手くなるワケがありまセン。

音楽活動でも、自分で完全に仕切るか、他のリーダーの意見を丸呑みするか、どちらかに陥りがち。
匙加減、というものをわきまえない不届き者なのデス。

ここまで軟弱に齢を重ねてしまった私の言い分は何か、考えました。
思い当たることがふたつあります。

ひとつめ。
結論を出すまでのプロセスの問題。
私は、自分の意見を固めるまでの「作業工程」は大好きです。
対立する両者の言い分をじっくりと検討し、自分の立場を明確にしていくのは実に楽しいひと時。
それに対し「議論」という方法は、反対意見を持つ人の目の前で、その人の感情を逆撫でするような発言をせざるを得ません。
落ち着いた環境で、冷静にやりたいだけなのです。

…でもまぁ、複雑な現代社会。
こんな私でも下手糞な議論を何回もしてきましたし、反対意見にぎこちなく合わせる場面も多々ありました。

そこで、ふたつめ。
こんな私が、一応ここまで社会生活を営んできたということは、どれだけ周囲の皆さんに助けられてきたか、の裏返し。
これが無ければゼッタイに無理。
皆様、本当に有難うございます。
ひたすら伏して、感謝申し上げる次第です。

2012/02/01 杜哲也