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【第36回/小学校のプール】

私がしばしば使うお散歩コースに、美術学校があります。
その日は、道路沿いにデッサンがいくつか掲示してありました。
中の1枚に、目が留まりました。

学校帰りの少年が、路地裏の宙を泳いでいます。
何故かそこは水の中になっており、描かれている電柱・塀・路面などは、すべて柔らかく曲がっています。
しばらく見とれた後、自分の小学校でのプール授業を思い出しました。

まず視覚。
先ほどの絵の通り、水中では、目の前にある物すべてがグニャリと曲がりながらユラユラと揺れています。
まるでダリの絵の中に入ったようなその感覚は、水面から顔を出すとすぐにストレートな現実に戻ります。
いわば、夢と現実を簡単に往復している感覚です。

次に聴覚。
水の中に入ると、それまで聞こえていた音がプツンと遮断されます。
そして、ゴボゴボッという無数の泡の音が落ち着いてくると、外界の音がやや遠くから耳に入ってきます。
それらには、目に入るものとの間に微妙なタイムラグがあります。
大量の水によって不思議な響き方をするそれらの音は、天然のディレイとリバーブが掛かって、小学生の私を楽しませてくれます。

そして動作。
手足を動かす時、水の抵抗に遭って思うように動きません。
普通に前に進むことが出来ないもどかしさは、夢の中で歩こうとする感覚と似ています。
また、片足のつま先でプールの床をトンと突くだけで簡単に体が浮き上がる浮遊感を、月面のアームストロング船長に重ね合わせます。
後にこれは、H.G.ウエルズの小説を読む時の想像力にも繋がりました。

多くの小学生にとってプールの時間は、現実から少しだけ離れた特別なものに違いありません。
そして、こんなことを思い出させてくれる、その絵の力、作者の視点のユニークさに脱帽です。
素敵な作品との出会いは、人生を豊かにしてくれます。
いつもより、ちょっぴりお得なお散歩タイムになりました。

2013/08/01 杜哲也

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