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【第41回/本業消失】

私にとって「富士フイルム」と言う名前は、「バレーボールの強豪チーム」というイメージから始まります。
1970年代のバレーボール日本リーグは、女子のユニチカ貝塚(ニチボー貝塚)、日立武蔵、男子の日本鋼管、松下電器などがひしめく中、唯一富士フイルムだけが、男女双方にチームを構えていたのが印象的でした。

勿論、本業は写真フィルムの製造販売。
2000年には、この業界の巨人、米国コダックを抜いて売上高世界一のフィルム企業になりました。
しかしそれをピークとして、以降毎年2割減3割減という猛烈な勢いで売上減が続き、2010年の同社フィルム事業は10分の1以下の規模になります。
そしてそれは、コダックも同様。
たかだか10年で、我々の生活からフィルムを使ったカメラが消えました。
このことが、フィルム会社にとってどれだけ深刻な事態なのか、門外漢の私でも簡単に想像がつきます。
実際コダックは、2012年に連邦破産法の適用を申請しています。

富士フイルム社長・古森重隆さんの著書「魂の経営」を読みました。
7万人の社員を預かる企業トップとして、消えゆく本業に敢然と立ち向かう強い決意や行動が書かれてあります。
今の私の生活だと、どうしても個を大切にする人たちと接することが多いため、集団を大切にする価値観には戸惑いもありましたが、大きな企業を預かる立場というのはこういうものだ…と十分に納得出来るものでした。
奮闘するリーダーの下に高いモチベーションを持つ社員が集まり、正に一丸となってデジタル化の波を乗り越えたのだと思います。

一方で彼は、この大きな経営転換の中においても、フィルム文化をとても大切にしています。
電源を入れた画面の中ではなく、手の中に家族の写真があること。
それを守るのは自分たちの使命であること。
彼はそう信じて経営しています。

東日本大震災の被災者たちから、泥や海水でベトベトになった写真の修復を数多く依頼されたそうです。
被災地で必死に集められた写真は、ほぼ全てがプリントされたものであり、電子記録媒体は見当たらなかった…ということを知りました。
震災後、富士フイルムの社員始め全国のボランティアたちによって洗浄・再生された写真は、何と数百万枚にのぼるそうです。
掛け替えのない写真を1枚1枚洗浄する社員たちは、これが奇麗になって持ち主の手に戻ることがどれだけ大きな価値を持つのか十分に心得ていたと思いますし、古森さんご自身も、採算の取れないフィルム部門をなくすつもりは毛頭ない…と断言しています。

哲学のない経営は必ず破綻します。
本業が失われていく緊迫した状況でそれを維持し続けるのは、実に凄いことだと感じました。

2014/01/01 杜哲也

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