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【第43回/79年前の偽作事件】

20世紀を代表するバイオリン奏者に、フリッツ・クライスラーという人がいます。
ピアノのF.ショパン、ギターのF.タレガ、サックスのC.パーカーのように、楽器の名手たちは自分の演奏のためにしばしば作曲をします。
クライスラーも正にその一人。
個人的には、作曲と演奏のどちらか片方だけをしている人たちよりも、親近感を覚えます。

先日、彼のことを調べていたら面白い話を知りました。
彼の作品の中には、「クライスラー編曲」と記されたものが相当数あります。
欧州各地を演奏旅行する中で、各地の図書館や学校に埋もれていた古い楽譜を発掘しては、若干のアレンジを施して紹介していたようなのです。

1935年、ある新聞記者から「これらの曲の原譜を見せてくれませんか」と問われると、「実は自分が作曲したものです」と種明かしします。
この時、クライスラーは既に還暦。
諸作品は、30年以上にわたり演奏され続けていました。
当時はかなりセンセイショナルに報道されたようで、馬鹿にするなッ…と感じた人たちからは相当非難されたようです。

この有名な「クライスラー偽作事件」を、私は今回初めて知りました。
よりによってそんな時に、現代の日本でも「実は自分が作曲したものです」という事件があり、こちらも相当センセイショナルに報道されました。

私は、記者会見での彼の言葉や態度にとても好感を持ちました。
多分、彼もクライスラーも、そのこと自体は「特別なことではなかった」のだと思います。
つまり、目の前に来た仕事を精一杯こなした…ただそれだけ。
今回はたまたま表面化しましたが、世の中にはいい加減な表示があることは私だって数々体験済み。

それよりも私は、記者会見を見た後に自分が如何に世俗的な人間かを痛感しました。
新垣隆さんが、79年後、今のクライスラーのような評価を受けていると素敵だな…と思いました。

2014/03/01 杜哲也

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