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【第46回/道具と仕事】

もう、30年くらい前の話です。
具体的なお名前は忘れてしまったのですが、芥川賞を受賞したその作家さんは、「もし、ワープロというものが発明されてなかったら、自分は小説を書いていなかった…」という内容の発言をしていました。

勿論それまでの小説は、手で一文字ずつ原稿用紙に書くしかありません。
それが、ワープロの登場によって軽いキーボード操作で書けてしまいます。
書き直す時も、ゴシゴシと擦る消しゴムは不用。
大胆なセクションの移動や、いつか使う決め台詞の保存も、この機械ならお手の物です。
小説を書き始めた時にワープロがあったのではなく、そこにワープロがあったから書いてみる気になった…というのも十分うなずける話です。

同じようなことを、ある税理士さんが言っていました。
パソコンがなければ、自分はこの職業を選んでない…と。
今は、立ち所に計算されて答えが出てくる会計ソフトがありますが、わずか30年くらい前までは、すべて自分で電卓を叩くしかありません。
(…その前はソロバン。)
パソコンが得意だと、職業選択の幅も随分広がる時代…ということだと思います。

私が作曲や編曲をする時の道具は、今でも五線紙と筆記用具という実に古典的なものです。
大きく変わったのは、資料収集と清書方法。
つまり、入口と出口は時代の変化をモロに受けていますが、中身自体はあまり変わっていないように感じます。

周囲には、作曲する時はパソコンがないと絶対無理…という人がいます。
はたまた、五線紙なんて使わない…という人もいます。
音楽は、税理士さんよりも遥かにその人のスタイルが尊重されるので、「道具の選び方」それ自体が表現の一部になっていると言えます。

近所に、とても美味しいお煎餅屋さんがあります。
長年にわたり、店先でご本人が焼いて売っています。
先日そのご主人が、道具の調達が困難のため自分の代で店を畳まざるを得ない…と言っていました。
本当に美味しいお店なので(…しかも安い!)、とても残念です。
仕事をする人にとって、道具はそれだけ大切なのだと改めて感じました。

2014/06/13 杜哲也


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