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【第96回/“多様性を認める”?】

「新潮45」は、私もよく手にする雑誌です。
これまでも、興味深い記事で度々楽しませてくれました。

2013年の11月号には、野口剛夫氏による「“全聾の天才作曲家”佐村河内守は本物か」が掲載されました。
各方面から高い評価を受けている作曲家を「まがい物」呼ばわりするのですから、一歩間違えば名誉棄損となるギリギリの選択だったことでしょう。
この翌年、週刊文春誌上で神山典士氏が「全聾の作曲家はペテン師だった!」を発表して大きな流れが決まります。
…最初の風穴を開けた新潮45は、文春砲よりスゴい存在なのです。

最近では、適菜収氏による「そろそろやめたらどうか“パラリンピック”」が印象的でした。
社会的弱者と言われる人たちに対して意見するのは、強面のヤクザに対してモノを言うのよりオッかないもの。
でも、そんな一見アブナイ意見を掲載するのも、雑誌文化の真骨頂。
大きなたらいをかき回す役割を果たし、その結果、社会がひとつの方向「だけ」に向かうことを阻止するなら、それはそれでアリかな…なんて思いました。

そして今回の「“LGBT”支援の度が過ぎる」。
上記二例と異なるのは、書き手の杉田水脈氏が国会議員であること。
期待に胸膨らませて読みました。

…が。ん?、、、これだけ、ですか???
インパクト、ほぼゼロ。
これってもしかしたら、新潮社による計画的広報戦略?
国会議員が「支援」って書くのですから、私はてっきり税金投入のことだと思っていまシタ。

LGBTの根底は「多様性を認める」ことでしょ。
この論文(?)を批判する人たちも、多分その辺りを怒っている…はず。
結果は、「多様性は認めないッ」かのような、批判一色の報道。
過去の標的は、野村佐知代さん、舛添要一さん、今なら日大アメフト部。
…日本国に生きていると、定期的にこれがあるのです。
(もしかしたら、他の国も?)

この画一的な空気感、どうも嫌いだなぁ。
皆さん、本当にこれ、読んでから批判してるの?

==================== 2018/08/02 杜哲也


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