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【同意しますか?】

パソコン作業をしていると、しばしば「同意しますか?」という表示に出くわします。
多くのケースで「同意」し、先に進むことでしょう。
私も仕方なくイエスをクリックしますが、この動作は何回やっても慣れることなく、何ともやる瀬無い気持ちになります。

根底には、法治国家特有の法律優先の考え方や訴訟社会への対応などがあるものと想像します。
でも、イエスと言わざるを得ない状況を作り出しておいて、お前同意しただろって…これはないでショ。

法律に頼り過ぎるとロクなことはありません。
人が行動する時、法律で決まってますから…というのは、最低ラインで渋々動いてます…という意味が含まれます。
これを音楽に例えるなら、仕事ですから…と言って音を出しているミュージシャンと同じ。
そもそも創作活動において「ルール通りに作りましょう」などという人はいるわけがありません。何とかして既成の殻を破り、自分なりの価値判断で美を追求したものを世に問い続ける…これの連続です。
こんな無秩序でも成立しているのは、明文化されないその価値観に対して「同意しますか?」という無言の問い掛けが、制作過程に多数発生するからです。

こんなことを書くと、日常生活と音楽を同一レベルで論じないで欲しい…というお叱りがあるかもしれませんが、それはあまり「同意しません」。
その人が生きている姿、それ自体が表現の一部であり、価値観を共有しない人たちとは「静かに離れる」または「ここでは従う」というのがベストチョイスです。
それは、相手方を尊重し、社会には様々な価値観が転がっている…という理想的な状況を作り出します。

すべての法律には欠陥があるはずで、大切なのはその行間にある精神を汲み取り、自分で考えていく姿勢でしょう。
数年前の国会で可決成立した「高齢者虐待防止法」などは、私にとってギャグのネタとしか思えない題名です。

2010/12/01 杜哲也