column
【勝手にやるな】
何を以って「便利」というか、が問題です。
最近の公衆便所には、レバーに触れなくても便器洗浄が出来る、実に「衛生的」な代物があります。
排便の終了を人の動きから察知し、自動で水が流れる仕組みの便器のことですが、…あれ、何とかなりませんか。
便座に座り、用を足します。
最後トイレットペーパーで拭き取る時、誰でも少しは体が動くでしょう。
いやそれどころか、用足ししている途中であっても、少しはモゾモゾするのが普通の人間の排便行為。
そのすべてに反応し何回も便器を洗浄してくれるセンサーは、敏感を通り越して冷酷でさえあります。
用足しの途中であろうと、まだ拭き取り1回目であろうとお構いなし。
通常なら洗浄1回で済むところ、3回も4回も勝手に水が流れるあの状況を「便利」と思う人が、果たしてどのくらいいるのでしょうか。
もしかしたら、私だけが特別な動きをしながら用を足しているのか、と心配になるくらいです。
更に問題なのは、便が目視確認出来ない段階で流れてしまう事。
自分の健康管理にとって、便の色、形状、量、硬さなどの確認は、実に大切。
さっきまで自分の体内にあったものです。
自分で水洗レバーを引いた時、意を決したかのように勢いよく排水管へ吸い込まれていく健気な姿を眼で追いつつ、心の中で静かに別れの挨拶をするのが正しい姿でありましょう。
実は、これに類することが、日常生活の多くの場面にあります。
パソコンで文書を作る時、行冒頭に「1」と書くと次の行に進む際、勝手に「2」が出てきます。勿論「3」も「4」も…。
電子レンジを使う時、自分で時間設定をしなくても機械が勝手に食品温度を判断して止まる仕組みがあります。何処となく一方的な感じ…。
CDを挿入すると、勝手に再生が始まるプレーヤーがあります。何曲目から聴きたい、なんてお構いなし。
銀行の自動引き落としも好きではありません。先方さんは、私が払わないとでも思っているのでしょうか。
私は自分でやりたいのです。
その繰り返しで生の喜びを実感します。
だからオネガイ。
勝手にやるな〜。
2011/02/01 杜哲也