column
【第103回/フィーリング派】
音楽家や役者さんたちには、感性豊かな方が多数いらっしゃいます。
私は敬意を払って「フィーリング派」と呼んでいます。
彼らは、いちいち理由を述べなくても求めるものを共有し、ウマの合う人たちとは自然と話が弾み、次の企画へ向けて意気投合します。
私は、音楽人としてはかなり理詰めに物事を考えるタイプ。
好きにも嫌いにも「理由」が欲しくなります。
1を聞いて10を知ることはなく、2、3、4…と進んで10に到達します。
「フィーリング派」の方々から見ると、それらが何ともじれったいようです。
曲の構造でも、ここから第二主題、ここから展開部…というように、明確な作りの作品は得意です。
ポピュラー音楽の構造はそのようになっていることが多いのですが、質の高い芸術音楽にはそのあたりの線引きが曖昧な作品も数多くあります。
憧れはありますが、自分で書くのはなかなか難しいのです。
そんな私にとって、最近、困っていることがあります。
勤務中と勤務外の時間区分が、どんどん曖昧になっていることです。
そもそも、連絡がつかない時間帯…というものがあるからこそ、勤務時間という概念が生まれます。
現代社会、連絡が取り易過ぎるのです。
自慢ではありませんが、私は職務質問を受ける回数の多い男です。
繁華街でくつろいでいる時は勿論、住宅街や人通りの少ない夜道でも、しばしば声を掛けられます。
多分相当怪しい歩き方をしているのでしょうが、こちらはオフタイムなので思いっ切りくつろいでいるだけ。
…そんな時、急にカバンの中身を見せろ、なんてね。
あんた、中学生に生活指導してるわけじゃないでしょ。
頑なに拒否し続けると、向こうもどんどんエキサイトしてきます。
でもこんな時、「フィーリング派」の人たちはいたって簡単。
どんどんカバンを開けて、その警官とは逆に仲良くなってお別れするそうです。
いえね、私は…、何故、今、ここで、この警官に、カバンの中身を、見せなくはならないか、まずは、そこら辺りから、ひとつずつ、クリアして欲しい、…だけなのデス。
う~ん、やっぱりダメかな?
===============2019/04/02 杜哲也
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