column
【第105回/弾けた!“フーガの技法”】
50歳を越えてからバッハを弾く楽しさに目覚め、未だ全く飽きる気配がありません。
私の能力では「インベンション」が限界…と思っていましたが、先日やっと、「フーガの技法」(冒頭曲)が何とか止まらずに弾けるようになりました!
この曲はバッハの遺作で、言わば、対位法芸術の最終到達点。
私にとっては正に憧れの曲です。
これと「音楽の捧げもの」は、弾く物ではなく読む物だ…という人がいるくらい、それはそれは見事な音符が並んでいます。
楽器指定のない曲も相当数あり、その意味からは、どの楽器で弾いても確かな音世界が表現される五線紙の上の芸術作品でもあります。
軽音楽で大切なのがリズムであるなら、バッハでは何と言ってもメロディでしょう。
バッハを弾いていると、ビート感に頼らない珠玉のメロディが次々と現れ、それらが複雑に絡み合って生み出される最高のハーモニーが体験出来ます。
ひとつの曲は(ピアノ譜で)せいぜい2~3ページ、時間にすると5分あまりでしょうか。
そして、その短いフーガには長大なソナタに匹敵する濃い内容が凝縮されており、弾き終わると、肉体的な疲労感と共に頭脳的な疲労感が心地好く私を襲います。
しかしながら、このような音楽を「ピアノ」という楽器主体で眺めると、何とも単調でサービス精神に欠けるのもまた事実。
どの楽器でも弾ける曲なんてどの楽器の曲でもない…とも言えるのですが、私がバッハに向き合う時、そもそもそんなことは全く求めていないのです。
私にとって音楽は表現活動であり、学習と実践はその両輪。
勉強の苦手な芸人さんも、レッスン室に籠りっ切りの大学教授も、上を目指す表現者ならば何かしら自分の方法をもって両輪を回しているに違いないのですから。
===============2019/05/09 杜哲也
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