column
【第106回/音楽をする理由】
勿論、1つや2つではありません。
稼ぎたい。
多くの仕事と同じく、食い扶持の手段。
特に男なら、自分の腕前ひとつで収入を得ていくことに、限りないロマンを感じるに違いありません。
評価されたい。
より多くの人たちから支持や共感を獲得する快感も、自分の信ずる真理を共有する極一部の人から評価される快感も、根は同じ。
あの店のラーメン最高だぜ…と言い合える仲間と、人生共に過ごしたいのです。
達成感。
稼ぎも評価もどうだっていい。
人にはそれぞれ、内側から湧き出る、止むに止まれぬ本能のような衝動があるのです。これを、納得できるまで突き進むのが音楽家の人生というものでしょう。
求められて。
有り難いことにご指名を受け、弾かせて頂く、書かせて頂く…。
そのことにより、その場がこの上なく盛り上がったり、厳粛な雰囲気に包まれたりすることは、音楽の存在意義と自分の社会貢献を再確認出来ます。
デモンストレーション素材として。
音楽による示威的効果には絶大なものがあり、古くから、集団、文化、思想、儀式などには、それらを象徴する曲が必ず存在します。
我々が現代社会で接している音楽にも、多かれ少なかれ同じ宿命が背負わされているのです。
教育素材として。
人は、学ぶことそのものに対して快感を覚える存在です。そして教育の現場には、その仲立ちとなる何らかの具体的な素材が必要となります。
スポーツや音楽には、それらを最高レベルで達成させる、神秘的な力があります。
なぜ、ここまでこだわり続けるのか。
なぜ、音楽に対してはエネルギーが沸き続けるのか。
いつも不思議に感じています。
===============2019/06/18 杜哲也
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