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【第114回/足元の話】

50歳を越えて二度の大病をした後は、今でも年に数回、朝8時くらいの上り電車に乗って都心の大病院で検査を受ける生活です。
日常ほとんど体験することのない満員電車に揺られながら感じるのは、オフタイムの自分と仕事に向かう周囲の人たちとのファッション格差。

それは、プラットフォームの列に並ぶ時から既に始まります。
言うなれば、ドレスコードに違反してパーティーに参加した気持ち。

服装は、顔つきや動作を作ります。
皆さん、戦いに向かう兵士の表情です。
このような勤勉な人たちに支えられて、自分は今日も音楽のことが考えられる、…半ば申し訳ない気持ちにもなります。

ま、くよくよしていても仕方ありません。
餅は餅屋と開き直り、ふと、足元を見ます。
ほとんど気にすることのない普段着ですが、ひとつだけこだわりがありました。

それは靴下。
その日のシャツにある色、例えその一部であっても、極力靴下にもその色を求めるのです。

繰り返しになりますが、普段着ですから、全くどうでもいいような服装でのお話。
しかも、冬場ともなれば上下ともに重ね着となり、まず、誰の目にも触れることはないでしょう。
勿論、こちらも承知の上。
こだわりって、そんなものだと思います。

そしてこれらは、作曲にも通じること。
多くの人たちは気付かないだろうけど、この曲には絶対これが必要…そんなこだわりの積み重ねによって、創作行為は成立しているのですから。


===============2019/12/17 杜哲也



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