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【第122回/正義中毒】

久しぶりに、本屋さんで新刊書籍を衝動買いしました。
タイトルは「人は、なぜ他人を許せないのか?」。
帯にあった「人を許せなくなる脳の仕組みを知って、心穏やかに生きるためのヒントを…」というキャッチコピーに興味を感じ、珍しく即レジへ。

著者の中野信子さんは、初めて目にするお名前でしたが、すでに多数の著作をお持ちの有名な学者さんでした。
お書きになる文章はとても分かり易く、脳科学に日頃縁のない私にもス~ッ入って来るものです。

キーワードとなる「正義中毒」は、著者による造語です。

自分の価値観と相容れない事象に対し、自らの尺度による「正義の発言」を、安全な場所から幾らでも出来るようになった現代社会、この「患者さん」が増えていること。
でもこれは、脳科学から見れば人間誰しもが持っているものであり、SNSによって表沙汰になっただけ。
「排除」は不可能で「共存」しかなく、上手くお付き合いするにはどうしたらよいか…などが書かれています。

ここでの「正義中毒」の対象は、政治や宗教といった硬派な問題から、著名人の不倫や差別的発言といった三面記事的なものまで、幅広くあります。
でも、芸術作品についての記述ページはありませんでした。
表現の世界は、相反する尺度を排して、自ら信ずる作品を完成させる世界。
評価が大きく分かれることは、勲章になります。

その「正義」を、作品内だけで収めてくれれば良いのですが、生活の一場面に表れてしまうこともありますし、スイッチが入れば「相手方」と無益な口論が始まる実例は、多々体験してきました。

本の終盤、著者ご自身で書かれているように、ここには正義中毒の「解決策」が書かれているわけではありません。
ヒトという生物に生まれた宿命を再確認し、常に考え続けることしかない…と結論付けます。
もし私目線で付け加えるならば、最良の「治療方法」は、創作し表現し続けること、ということになります。

= 2020/08/07 正義中毒患者・杜哲也 =



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