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【第131回/新聞宅配】

令和の今日、不意の訪問は宅配便や書留くらいでありましょう。
昭和の時代には、「新聞勧誘員」なる存在が様々なご家庭を私服で回っていました。
彼らにとって、地方から上京したての若者一人世帯は絶好の標的です。

「今、新聞は何を取ってますか」
「最初の3ヶ月は無料でいいですよ」
「洗剤、お持ちしました」
「巨人戦の指定席あります」
…などなど。

今の社会情勢から考えると信じられないかもしれませんが、ネットがない時代というのはこんなものです。
以下は、高校出たての私が、ジャズスクールに通っていた頃のお話。

共に学んでいたその友人も、そんな訪問には大層迷惑している様子でした。
ある時、やんわりと「要りません…」と断った数日後から、郵便受けに新聞が入るようになったそうです。
月末、訪問客がありました。
「●●新聞です、集金に参りました」
「頼んでませんが…」
「だってお読みになったでしょ」

…もう40年以上前の話です。
他人事ながらあまりに腹立たしく、未だ鮮明に記憶しています。
勿論、その勧誘員がズルい方法を用いたことも不愉快ですが、怒りの根源は、新聞という「偉そうな存在」が、組織の末端でこんなことをして利益を上げている現実を知ったことです。

私は、人間はそんなに立派な存在ではないと考えています。
悪さもするが善行もする。
他者も大事だが自分も大事。
そんな表裏一体の葛藤の中で、ちっぽけな自分が存在しているのです。

新聞も、作っているのは人間です。
「社会の公器」を名乗って、「軽減税率」を受けているから、腹立たしいのです。

= 2021/05/08 杜哲也 =


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