column


【第132回/お店のピアノ】

私は、大きなホールでの演奏経験は少なく、小さなお店にあるピアノを沢山弾いてきました。
そして、そのほとんどは飲食を伴うお店です。

厨房の良い香りが客席まで届けば、お客さんにとって喜ばしくても生楽器にとって良いはずはありません。
また、今のような梅雨に限らず一年中雨の多い日本では、差してきた傘をそのままピアノ脇の席まで持ち込むお客さんだっています。

ピアニスト側も、お客さんから差し出されたグラスを楽器の上に置き、咥え煙草で1曲…なんて時代がありました。
お店はお店で、場所を取るグランドピアノは、作業テーブルとしても実に便利。
アップライトであれば、店内の貴重な飾り棚として、小さなお花の一つや二つは置きたくなるもの…。

こう考えるとお店のピアノは、実に過酷な条件下で働かされていることが十分にお分かり頂けるでしょう。
そんな中、先日初めて演奏した代々木八幡のお店のグランドピアノは、ちょっと感動モノのコンディションでした。

鍵盤のタッチは、お店ピアノにありがちなムラを全く感じず、適度な重厚感があります。
そして、店の室内環境と楽器が、正に一体となるような鳴り方をしていました。
特筆すべきはその音色。きらびやかな輝かしさではなく、深くて暖かみのある、実に私好みのもの。
これが、オープンしたてのお店の新品楽器ではなく、30年営業しているお店だというから驚きです。
お店のピアノ…という限られた条件の中でこれを維持するには、調律師さん始め、関係スタッフの皆様による不断の努力があるのだと思いました。

人は、何かが上手く行かない時、ついつい環境のせいにしがち。
与えられた条件の中で精一杯頑張る、…結局、これしかありません。

= 2021/06/09 杜哲也 =


《homeに戻る》