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【第137回/英語を話したい!】

私より少し上の世代だと、運転免許を持っていることが、職業選択上の大きな武器になったそうです。
私以降の世代では、普通免許はほぼマスト状態。
もしかすると今後、「英語が出来ること」がそのような扱いになっていくのでしょうか…。

私の育った環境では、周囲に英語が話せる人は、ほぼいませんでした。
よって私自身も、英語が話せないことにコンプレックスもなく、それはその道の専門家に任せる領域…、と考えていました。

漠然とした印象だと、私より10歳くらい下の世代(1970年代生まれ)から、音楽家を目指す日本の若者たちが、どんどんアメリカに行くようになってきたように感じています。
行く前はほとんど話せなくても、数年滞在していれば、音楽の腕前と共に立派な英語を習得して帰国します。

私は英語の歌を聴いて育ちましたが、未だに英語が話せません。
私の耳に染みついている多くの歌には、言語として英語はなく、音楽の一部としてのvoiceがあるだけです。
長年それを聴き続けているのは、英語の持つ抑揚やリズムというものが、ポップミュージックにとって、どんな素晴らしい楽器をも凌ぐ個性豊かな音だからだと思います。

何とかして死ぬまでに、英語を話せるようになりたい!
ここ数年、特に強く感じています。
幸いなことに、気が付くと私の周囲には英語が得意な人たちがた~くさん。
時の流れを感じます。

昨年、お陰様でこのウェブサイト内にも、拙い英語ページを作ることが出来ました。
将来のいつか、このcolumnページもバイリンガルで書けるようになって、Stevie WonderやJohn Wettonが何を歌っているのかすぐ分かり、自分でも英語の歌を沢山書いて、そして何より、世界中にいる何十億という英語を話す人たちと、自由に語り合いたい!…そう願っています。

= 2021/11/06 杜哲也 =


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