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【第160回/ジャニーズとマスコミ】

今、ジャニーズ擁護の論陣を張るのは、とても難しくなりました。
あのデヴィ夫人でさえ、発言を撤回せざるを得ない状況です。

私は幸い(?)ジャニーズのエンターテインメントで育ったわけではなく、思い入れのあるタレントさんはいません。
でも、もし大好きなアーティストに、その名声を根底から覆す醜聞が発覚したら、自分の人生を否定されたような強いショックを受けると思います。

それだけ、思春期に受けた感動という財産には、重い価値や責任があります。
長い人生を乗り切る時、その経験が繰り返し思い出されて、お金や旨い飯では補えない強力な後ろ盾になり、その人を支えてくれます。
良質なエンターテインメントを作り上げ、受け継いでいくことは、だからこそ、社会にとって極めて重要なのです。

今回、どうしても腑に落ちないのは、マスコミの立ち位置。

マスコミは、ジャニーズを使って散々稼いできた張本人です。
しかも、糾弾するチャンスはここまでに度々あり、公共の電波や大きな発行部数を持つが故、それが極めて実行し易い立場にあった筈です。
社会の空気が発言し易くなってからジャニーズを叩くことは、戦争中に国民を鼓舞していた新聞が、終戦後に平和の大切さ唱えるのと全く同じ。
全てに共通するのは、「この記事を書けば売れる」という発想です。

ジャニーズ問題は、社会構造が大きく動いている今の時代、芸能プロダクションという存在そのものが問われているのだと思います。
その意味では、巨大メディアに就職せずとも個人で情報発信出来る現代、マスコミ業界も同じ状況に直面していることでしょう。

これまで散々立派な事を書いてきた新聞社が、誰かの告発が発端となって、今のジャニーズ事務所のようになったら…なんてことを想像すると、これは現代最高のエンターテインメントになりそうな予感です。
私は、ジャニーさん個人の罪よりも、マスコミ全体に漂う時流に擦り寄った正義の方が嫌いです。

= 2023/10/15 杜哲也 =


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