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【第161回/置かれた場所で咲く】

ギタリスト、バイオリン奏者、サックスプレイヤーなどなど、ほとんどの演奏家たちは、自分の愛する楽器を抱えて仕事場に向かいます。
ミュージシャン以外でも、大工さん、スポーツ選手、料理人…などなど、自分の技能で生きる職人たちにとって、「商売道具」の大切さは共通するところでありましょう。
そんな中、ピアニストだけは、行った先に置いてある他人の「商売道具」を使います。
この意味では、ピアノ弾きはなかなか稀有なお仕事だと思います。

今月は、初めての場所で演奏に臨む機会が多く、リハを含めると七か所もあります。
うち一か所は、ウェブを拝見する限り普通のジャズクラブなので、ある程度想像はつきますが、あとは、行ってみるまでどんなピアノを弾くことになるのか分かりません。
(更に言うと、私は片耳が全く機能しないので、モニター環境も気になります。)

お店によっては、コンディションのあまり良くない楽器を弾くこともありますし、グランドではなく、アップライトや電子キーボードを演奏する時もあります。
ですから、初めての会場に向かう時は、出来る限り事前に下調べをするよう心掛けています。
先方さんにはその分余計なお手間を頂戴するので、あまり良い顔をされないケースがありますが、逆に大変丁寧にご対応して頂けるケースもあります。
一喜一憂しても始まらないので、それらを含めて「お仕事」と考えるよう努めています。

人生、すべての環境が行き届いた中で生活する…なんてことは、まずありません。
ましてや、「演奏環境」をそのまま「労働条件」に置き換えるのは無謀。
法律が守ってくれるのは、最低賃金や労働時間といった数字上のお話。
文化というフィールドには、法に引っかからない意地悪や、逆に、思いもよらない幸福感といった要素が、日常的に存在します。

置かれた場所で如何に咲くか。
ピアノ弾きは、この問題と常に直面しているのです。

= 2023/11/01 杜哲也 =


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