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【第164回/落し物と年齢】

自宅と事務所の鍵が付いたキーホルダーを、昨日、何処かで落としました。
恥ずかしながら、ここ数年、財布・鍵・スマホ・印鑑…などの貴重品を失くしてしまうことが度々あります。

私も来月で63歳。
尊敬して止まないバッハは、65歳でこの世を去っています。
貴重品を何処に置いたのか忘れる…これだけならまだ良いのですが、人との約束を忘れたり借りたお金を忘れたりするようになると、いよいよ引退勧告が突き付けられるのだと思います。
お陰様で今の私は、大切な状況判断を求められる場面がまだまだ沢山あり、忘れ物や落し物は、自分の衰えを諭してくれる良い機会になっています。

実はその意味から、日本には、その「効き目」が何とも悪い現実があります。
落とした貴重品が、度々手元に戻るのです。
今回落とした鍵も、24時間以内には最寄駅からメールが届いて、無事手元に戻りました。

3年くらい前、路上で落としたスマホは、近くの交番に届いていました。
更に前には、実印の入ったカバンを電車に置き忘れたことがありましたが、程なく「終点で預かっている」旨の連絡を受けました。
こんなことが続く日本は、何とも凄い国だと思います。

かくして、私のような「効き目の悪い者」は、これからも貴重品を落としそうで恐いのですが、もしかすると、これらを歳のせいにすること自体が間違いかもしれません。

そもそも「作曲」という分野は、「演奏」に比べると遥かに実働可能年数が長いものです。
R.シュトラウスは、78歳で2つめのホルン協奏曲を書き上げました。
79歳のG.フォーレは、聴力を失った中であの弦楽四重奏曲を書き上げました。
C.ライネッケがフルート協奏曲を書いたのは、何と84歳です。

しかも、マウスで入力…なんて時代ではないので、すべて手で書くしかありません。
あらかじめ、書く音符が全て決まっていたとしても、単純に凄い労働量です。
長大な曲を書き上げた時、右腕全体が棒のようになるあの大作業を、80前後のご老人たちがやってきたこと、そして実際にはそこに、信じられないレベルの頭脳労働や感受性・想像力が加わること、…これらに対する圧倒的な畏怖の念が、私を創作活動に向かわせます。

そして、今度こそ手元に戻らない落し物をするのかなぁ…なんて思います。

= 2024/02/17 杜哲也 =


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