第181回/教育無償化
大前提として、無償化ではなく公金化と言うべきです。
この政策は、公立と私立の境目がなくなることを意味します。
私は、全ての学校教育が公金で賄われることに反対です。
自然科学や数学のような学問であれば、公立私立で異なる内容を教える状況は考えにくいのですが、思想や文化など多種多様な価値観を学ぶ時、特色ある私学で学ぶ意味は大きいと思います。
学校教育が一律で政治の支配下に入ると、菅義偉政権下で問題になった日本学術会議のような事態が容易に予想出来ます。
宗教系の学校が分かり易いのですが、公教育でやりにくいことが、私学では売り物になるのです。
政治は、税金の使い方を決めるのが大きな仕事。
教育が大切、という方向性には賛同しますが、学校教育とは別に社会教育という分野もあるのです。
既に学校教育には、私学助成金という大きな支援があります。
私はむしろ、社会教育にこそ予算を回して欲しいと思っています。
例えば、高齢者や子供たちに向けての演奏や指導といったお仕事では、その多くがボランティアに毛の生えたようなギャラしか受け取れない現実があります。
政治が、民間の行う教育活動にどこまで介入するかは、デリケートな問題です。
例えば、放送局がすべて国営になってしまえば、大衆をコントロールするなんて簡単なこと。
受け取っても良いお金を見誤った結果、面倒な事態になった経験は、誰にでもあるでしょう。
教育が公立私立問わず政治の支配下に入る姿を、私は見たくありません。
= 2025/07/06 杜哲也 =
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