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【第26回/本屋さんCD屋さん】
本屋さんというのは、八百屋さんや床屋さんと同じで、町の商店街には「あって当たり前」のお店でした。
私の通った小学校には、「お家が本屋さん」という同級生がいました。
彼のご自宅兼店舗に遊びに行く時、沢山の本の間を縫うようにしてお家の中に入ることにワクワクしたのを覚えています。
中学生になると、SF小説の好きな仲間と共に、生まれて初めて神保町の本屋街に行きました。
自宅近くでは考えられない規模の大型店に入ると、その空気の中に風格や伝統を感じました。
店から店を巡る楽しみは、街を知る楽しみでもありました。
神保町にいる間は、大人の仲間入りをしたような気分を味わいました。
レコード屋さんも、私にとっては思い出深い存在です。
子供の頃から愛想の良くなかった私が、店員さんと仲良くなる…という体験を初めてしたのは、通い詰めた近所のレコード屋さんでした。
たまに回る新宿や渋谷の輸入盤専門店は、私にとって特別な存在でした。
雑誌でしか見たことのない、国内未発売レコードが多数並んでいます。
各店恒例の大晦日オールナイトバーゲンでは、寒空の中、長い行列で待たされるのも幸せを感じる時間でした。
1980年代後半、名称がCD屋さんになっていき、店内には試聴コーナーが設置されます。
この頃既に、町の商店街にある本屋さんCD屋さんは、生き残りが困難になっていたのだと思います。
かく云う私でさえ、本屋さんは大規模なものが入り易いですし、CD屋さんの試聴コーナーは大変有難く感じています。
更にネット社会の今となっては、本もCDも物品として存在する理由が減ってきていることは否定出来ません。
その意味からは、ターミナル駅にある大型店であっても先行き不透明な時代でしょう。
酒屋さん、お米屋さん、たばこ屋さんは、国の政策転換もあったため既にもう大分見掛けなくなりました。
お菓子屋さんや畳屋さんも、それ単独ではなかなか難しくなっていると思います。
町並みは、時代に応じて作られていくのが現実です。
でももし、本屋さんとCD屋さんがなくなってしまう日が来るとすれば、私にとって街を歩く楽しみのうち、極めて大きなものが失われます。
何か良い方法はないかなぁ…と、思い巡らせる日々です。
2012/10/01 杜哲也