column
【第32回/バッハの“ピアノ曲”】
今、これにハマってます。
ショパンやドビュッシーのような、ピアニスティックな音符が一切ないところが何とも良いのです。
そもそもバッハの場合、「ピアノ曲」とは言わず「クラビーア曲」と言うようなのですが、世間でどう呼ばれていようと私にとっては最高の「ピアノ練習素材集」なのです。
自分なりに理由を考えました。
まず、読譜の楽しさ。
私が学んできた西洋音楽の理論が、正にその通りに実行されています。
もちろん事実は逆で、バッハの音楽が理論体系化されてそれを学んだわけです。
そうと分かっていても、自分と主義主張が一致する論文を読むような快感があるのです。
しかも、ルール通りだからと言って無味乾燥にならず、実に音楽的。
必要最低限の真実だけを語り、それを取り巻く事柄は現場の人間に委ねてくれる…と言うような信頼関係を感じます。
次に、肉体的な満足感。
人前でピアノを弾く者としては、自分の指の運動機能を常に訓練しておかなくてはなりません。
私のように、そこに問題意識を感じている者としては、尚一層です。
これまではその対処方法を、「コンファメイション」や「フリーダム・ジャズ・ダンス」といった曲のテーマに求めたり、オリバー・ネルソンの名著「パターン・フォー・ジャズ」に求めたりして、それなりに良い薬になってきました。
これからは、バッハもそのひとつに加わりそうな予感がしています。
年齢的に、もう少し早く気がついても良さそうなものですが、これは、私のピアノ進歩向上がようやくそのレベルに達した…ということだと思っています。
私のピアノ歴はかなり邪道なものであるため、通常ならとうの昔に歩んでおくべき道を通過していません。
そのため、バッハにも弾いた事のない曲が沢山あり、時間はいくらあっても足りない状態です。
今日もまた、心新たにバッハの「ピアノ曲」に向かいます。
2013/04/01 杜哲也
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