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【第37回/音が先にある】
「譜面が先ではなく、音が先にある。」
これは、ある先輩ミュージシャンの言葉です。
常に譜面を使ってやり取りしていると、まるで逆のような気持ちになってしまうため、時々思い出すようにしています。
音楽は、記録保存が困難な芸術なので、古代の人たちがどのような音を出していたのか、我々は伺い知ることが出来ません。
しかし、音楽は人間の本能。
人の営みがあれば、そこには何らかの音があったに違いありません。
そしてそれらの音は、空中に放り出されては即座に消えていくのが、いわば運命でした。
何とかして音を残すため様々な記譜の試みが重ねられ、現在の五線による記譜法が確立されたのが16~17世紀のヨーロッパです。
「音が先、譜面が後」ということは、歴史でも証明されています。
西洋音楽史では、五線というものが確立した頃から、大作曲家と呼ばれる人たちが「急に」現れ始めます。
彼らは、この「新しい道具」を極めて上手く使いこなした人たち…という言い方が出来るでしょう。
何と言っても、音楽は人間の本能。
適切な道具がなかったためそれまで抑えられていたものが、五線によって一気に爆発した…と、そんな状況にも見えるのです。
譜面と音の順番については、ポピュラー音楽とクラシック音楽で大きく異なります。
ポピュラー音楽は、リハーサルを重ねながら音楽を作っていくことが多いため、「音が先、譜面が後」という「普通の順番」です。
ところがクラシック音楽では、既に完成されている譜面が奏者に渡され、それを音にしていくという、いわば「逆の順番」で音楽を作ります。
しかしこの場合でも、譜面を書いている時には書き手の頭の中に音楽が既にあるので、「音が先、譜面が後」という大原則は崩れません。
クラシック音楽にとっての「五線」をポピュラー音楽に当てはめると、「録音」になると思います。
エジソンが蓄音機を発明してから、譜面の読み書きが出来ない世俗音楽家であっても、自分の音を広く伝えられるようになりました。
実際それ以降、ポピュラー音楽では偉大なミュージシャンたちが「急に」現れ始めます。
彼らは、この「新しい道具」を極めて上手く使いこなした人たち…という言い方が出来るでしょう。
何と言っても、音楽は人間の本能。
適切な道具がなかったためそれまで抑えられていたものが、録音によって一気に爆発した…と、そんな状況にも見えるのです。
2013/09/01 杜哲也
※冒頭の言葉は、ジャズドラマー堂本憙告さんによるものです。私が十代の頃にドラムの基礎を教えて頂きました。
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