column
【第42回/カーペンターズ】
カーペンターズを知ったのは1973年、私が中学1年の時です。
それまで耳にしていた音楽は日本人が歌う流行歌だったので、外国人であることだけで私には新鮮でした。
そして、歌うだけでなく自ら楽器もやり、本人が作曲や編曲をして音楽を作っていることに対して、単純に凄いなと感じました。
カレンの歌声は、言葉というより音楽の一部で、英語発音のスタンダードとなって耳に残りました。
それを支えるリチャードの存在には、タレントというより音楽家という領域を感じました。
中学生の私は、そんなことに少しだけ大人の気分を味わっていたのだと思います。
中学高校時代は、激しいビートのロックミュージックも大いに聴く頃です。
T.レックスやモットザフープルを聴いている人たちからは、軟弱なポップミュージックの代表のように見下される時がありました。
実際私も、見栄を張って「カーペンターズなんか聴いてねぇよ」という感じの時期がありました。
この「見栄を張る」という心理は、成長過程でとても大きなものだと思っています。
その後、私の聴く音楽は、より偉そうなもの、より超絶技巧なもの、よりマニアックなもの、という視点で選ばれた時期があります。
それらは、向上心から言えば自然であり、実際に多くを学びました。
しかし「見栄」から解放されて音楽そのものと向き合う時、私の感受性の中には明らかに「素朴で優しい歌」を求めるものがあることに気が付きます。
1970年代のポップミュージックには、私のその気持ちを満たしてくれるものが沢山あったのだと思います。
カーペンターズは、私にとってその象徴的な存在です。
振り返ると、自分の仕事現場には、いつもカーペンターズがありました。
自分で選曲する時も、お客さんからリクエストされる時も、実に多くのご縁があるのです。
この事実こそ、自分との相性の良さなのだと考えています。
「遙かなる影」「愛のプレリュード」「イエスタデイ・ワンスモア」「青春の輝き」などの代表作とは、今や、私の人生の5分の4という長期間にわたるお付き合いです。
私も、こんな曲がひとつでも残せたらこの上なく幸せだな、と思います。
2014/02/01 杜哲也
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