column
【第51回/このコラムのこと2】
このコラムも、いよいよ50回を超えました。
いつも読んで頂いている皆さん、本当に有難うございます。
改めて「第1回/ホームページ一新」を読み直しますと、書き始めた当初の気持ちを思い出します。
こんなこと始めてしまって果たして続くのか…という不安感がある一方で、どうせ誰も読まないよ…という投げやりな気持ちもありました。
しかし当時、ぼんやりとですが、「言葉で伝えたい」という気持ちが出ていたのは確かです。
その理由を改めて考えました。
表現活動をしていく中で、衝突があまりにも多いのです。
音楽という手段は曖昧な部分が多くて、それだけだとどうしても伝わりにくいし誤解も多い…。
「それじゃないッ。私はこれを表現したいのです。」
ということが間違いなく仲間に伝われば、無駄なトラブルも減るかも…と考えました。
例えばその如実な例が、音楽における「ラベル問題」。
これは私の造語ですが、このコラムではこのことを何回も訴えてきました。
仲の良い人や関係の近い人に自分の音楽を聴かせると、ほとんどの場合「うわぁ素敵ですね~」と言う感じになります。
でも、何らかの事情で人間関係が悪化すると、過去に評価してくれた音楽までもが「素敵」ではなくなってしまいます。
つまり、音楽を聴いてくれたようでいて、実は「ラベル」が優先されているのです。
もうひとつ。
人間関係の濃淡と共にありがちなのは、権威や名声の問題。
上から「立派な音楽」と言われれば、「ハハァ~」とひれ伏す空気があります。
…ソノ音楽、「ラベル抜き」でも本当に好きデスカ?
ここで誤解しないで頂きたいのは、私はこういった現象に対して、「もっと“ラベル抜き”で音楽を聴いてください」ということだけを言っているのではありません。
むしろ、音楽はラベルから解放されることの出来ない存在だと思っています。
音楽だけを立派に作ってもそれは片手落ち。
音楽の提供の仕方まで併せて作ることや、音楽の背後にあることを十分に知った上で聴いて頂くこと、そんな事柄が意外に重要かも…。
だったら文章でも書いてみますか…ということなのです。
引き続き、ご支援何卒よろしくお願いします。
2014/11/01 杜哲也
《homeに戻る》