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【第52回/バレンボイムの勇気】
ワーグナーに付いて回る「反ユダヤ」という看板から、イスラエル国内では未だに彼の作品が演奏出来ないことをご存じでしょうか。
そこには、日本人では想像もつかない根深いものがあるようです。
確かにワーグナーはユダヤ排斥を唱えていましたが、私はそのことを知る遥か前から「ワルキューレの騎行」を知っていました。
若かりしヒトラーがワーグナー歌劇の大ファンで、その舞台を頻繁に観ながら育ったことは、歴史の授業で教わりませんでした。
恐らく、多くの日本人の「知る順番」も私と同じだと思います。
いや、「知らないまま」の人だって沢山いることでしょう。
その背景を知ったからと言って、急に「ワルキューレの騎行」が嫌いになるかというと、なかなかそうは行きません。
ましてや、ワーグナーが西洋音楽史に残した大きな足跡への見方が変わるなんてことは絶対にありません。
しかし、ユダヤ人にとっては話が違うのでしょう。
事は単純明快。
「イスラエルでワーグナーを上演するな」…以上。
2001年7月、ダニエル・バレンボイムという指揮者がイスラエル音楽祭でワーグナーを演奏し、日本でも話題になりました。
彼は正式な演目に入れたかったようなのですが、音楽祭側がどうしても認めなかったため、アンコールとして「トリスタンとイゾルデ」の一部を演奏したそうです。
彼は、演奏する前に客席に向かってこう述べます。
「これからアンコールにワーグナー作品を演奏します。不快に思われる方がご退席されるのは自由です。正規のプログラムはすべて終わっています。」
…実際に数十人が席を立ちますが、多くの聴衆は残ります。
「私自身もユダヤ人です。しかし、ワーグナーの偉大な音楽に向かい合う時、それは関係ありません。」
私は、こういう行動こそ真の勇気だと思います。
この一件から13年経過していますが、バレンボイムに続く人が出たという話は寡聞にして知りません。
2014/12/01 杜哲也
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