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【第54回/文化の根幹】

久しぶりに、一気に読みました。
「新潮45」2月号の特集記事「“出版文化”こそ国の根幹である」。
実に読み応えありました。

アマゾン、ブックオフ、公共図書館、…この3つの台頭によって、出版を取り巻く環境がガラッと変わってしまったことに対し、9人の執筆者がそれぞれの立場から警鐘を鳴らしています。
作家、歴史家、出版社重役、書店経営者、海外からの視点、ネット従事者からの視点…など実に多彩な執筆陣の中で、私が特に語りたいのは二人。
「作家代表」林真理子さんと、「本屋代表」高井昌史さん。

まず、林真理子さん。
タイトルはズバリ「本はタダではありません!」。
プロの物書きがどれだけ苦労して執筆しているのか、切々と語ってくれます。
今、ネットのブログには「文章」が溢れかえっていること。
それらと自分の「文章」を一緒にしてもらっては困ること。
「アグネス論争」以来のファンとしては、彼女のような人に語ってもらうことこそ、文化が守られ受け継がれ発展していくものと確信します。
民主主義の下で「平等」が偏重されることに対し、私は日頃から反吐が出るほど不愉快な思いを持っています。

次、高井昌史さん。
恥ずかしながら、今回初めて知ったお名前です。
紀伊國屋書店の社長さん。
東京の西側で生まれ育った身としては、ある意味、新宿に紀伊國屋書店があることによってこそ今の私があります。
紀伊國屋もジュンク堂も極一般の株式会社であり、宗教法人や学校法人のように税制優遇を受けている訳でもなく、公共図書館のように日の丸に守られている訳でもありません。
市場原理と文化向上の両立に生涯を掛けて戦っている人の文章を読めば、本だけはアマゾンで買うまい…と思うに違いありません。

振り返って、音楽を取り巻く状況を考えます。
今のままだと、「音楽をタダだと思う人たち」で溢れかえるでしょう。
それより不安なのは、「ブログを“文章”だと思われては困る」のと同様、「スピーカーから出てくるものを“音楽”と思われては困る」ということです。

あれは資料として大変有意義ですが、それ以上でもそれ以下でもありません。
私がここまで打ち込んできた“音楽”というものは、人と人が共感したり反目したりしながらその人の諸条件(経済背景や音楽的力量など)をギリギリまで使って作り上げ、目の前で提供されるものです。
そもそも流通される「品物」ではないのです。

新潮45の執筆陣のお一人磯田道史さんは、日本が誇るべき「書物の歴史」という視点から今の出版状況を批判しています。
比べると、録音物の歴史はたかだか100年程度。
ネット配信に至っては、21世紀デビューと言ってよいでしょう。
進歩の「順番」から考えても、「文章」たちの行方は「音楽」たちに大きく影響を与えるに違いありません。

2015/02/13 杜哲也


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