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【第55回/ハンバーガー・コンチェルト】

先日、発表会プログラムの原稿作りをしている時、固有名詞の表記について気になる事がふたつありました。

ひとつめ。
モーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」を、イタリア語読みに倣い「コジ・ファン・トゥッテ」とすべきかどうか。
…どうやら最近、日本国内でそちらの表記にする流れが起きているようなのです。
一度広まってしまった固有名詞を変更するのは、なかなか大変なこと。
既に浸透している表記を尊重すべきか、原語に近付けるべきか…。

ふたつめ。
三枝成彰さんを三枝成章さんとすべきかどうか。
これは、改名前の出版物に残っている表記をどうするか…という問題です。
ご本人は、理由があって成彰にしたはず。
でもその曲はまだ成章の時に世に出した作品で、発表会に参加する生徒さんはその楽譜で練習を重ねてきました。(…しかもお子様です!)
う~ん、どうしたら良いものか…。

上記例に限らず、固有名詞の変更は現実問題としてかなり難しいです。
ドストエフスキーの「白痴」やビショップの「シナの五にんきょうだい」というタイトルには、上記とは別の問題もはらんでいます。
ジャック・フェーデ監督のフランス映画「外人部隊」を「外国人部隊」と変更するのも難しいですが、緑川アコの「カスバの女」に出てくる歌詞「がいじん~ぶたいの~」まで話が及ぶと、更にまた別の問題(同一性保持権)も出てきて収拾がつきません。
私は、こと固有名詞においては、その時に広まった形というものを大切にして良いのでは…という気がしています。

こんなことがあった後、別の仕事でより悩ましいタイトル問題に遭遇しました。

その曲は、ブラームス作曲「ハイドンの主題による変奏曲」。
ここでブラームスが用いた主題は、近年の研究によってハイドンの作曲ではないことが判明しているそうです。

「ハイドン変奏曲」と言えば、ブラームスの中でもかなりの人気作品。
ハイドンの名を冠したこの名称は、日本のみならず世界に広まっています。
そして何より、ブラームス本人が「ハイドンの主題」だと思い込んで作曲し、自分で付けたタイトルです。
ご本人に無断でタイトル変更は出来ないでしょう。
何より、ブラームスが最初から「これはハイドンの作でない」と知っていたら、そもそもこの名曲は生まれてなかったかもしれません。

…しかしながら、私にとっては何の問題もありません。
私にとってのこの曲は、「ハンバーガー・コンチェルト」以外の何物でもないのデスカラ…。

2015/03/12 杜哲也


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