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【第56回/スポーツ礼讃】

長いこと、音楽のお仕事をさせて頂いておりますが、高校までの部活は一貫して運動系でした。
特に運動神経が良かったというわけではなく、とにかく体を鍛えたい思いが強かったのです。
学校という所は、勉強の出来る人と運動の出来る人が脚光を浴びるので、単純に「頭よりは体かな…」という気持ちもありました。

やるのも好きでしたが、見るのもかなり好きでした。
巨人大鵬卵焼きの世代です。
王貞治が山田久志から打ったサヨナラ3ランや、戸田が「誤審」で大鵬の連勝を止めた一番などは、私にとって生涯消えることのないインパクトを持ち続けています。

そんな中で知ったモハメド・アリは強烈でした。
私が彼を知ったのは、彼が兵役拒否でタイトルを失った後、初めて世界タイトルに挑んだジョー・フレージャーとの初戦です。
当時、私は小学5年生でした。
下馬評を報じる新聞は、まだ「カシアス・クレイ」という表記を続けていたことを覚えています。
(…こんなこと、今では考えられません!)

時差の関係から放送は真っ昼間だったので、観戦は諦めていましたが、何と当時は職員室にテレビが置いてありました。
(…これも、今では考えられません!)
ワクワクして校庭から窓ガラス越しに見ていたことを、はっきりと覚えています。

これは後から知ったことですが、ボクシングにおける黒人の活躍は、長いことタブーだったそうです。
(…勿論、今では全く考えられません!)
ジャック・ジョンソンという名前は、マイルス・デイビスのアルバム・タイトルとして知りましたが、20世紀初頭の黒人ボクサーを歌い上げたものでした。
ジョンソンが白人と戦うことすら出来なかった時代から、フレージャー対アリの試合まではたかだか60年です。
(…今の価値観だって、今後どうなるか分かりません!)

その試合に勝ったフレージャーは、2年後にジョージ・フォアマンに負け、更にその1年後フォアマンはアリに敗れます。
私にとって強いボクサーは全員黒人なのです。

スポーツの素晴らしさは、音楽のような小難しい能書きなしに、それはある意味「冷酷なまでに」勝敗が決まることです。
だからこそ…その戦いに互いが全身全霊を賭けて打ち込むのであり、だからこそ…感動を呼ぶのであり、だからこそ…世の中の価値判断の基準そのものを動かすのだと思います。

2015/04/17 杜哲也


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