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【第63回/プロフィールの話】

依頼主から、しばしばプロフィールの提出や確認を求められます。
私自身も、演奏会ではプログラムにある略歴には必ず目を通しますし、その音楽家がどんな経歴か知った上で演奏を聴くと、ある意味理解が深まるのは事実です。
多くの場合、音楽会やお芝居は一期一会であり、同じ奏者や同じ役者に複数回出会うことは極めて希。
もう二度と会わないかもしれない今日のお客様に対して、私のことを簡単に説明しておくのはとても意味があると思います。

同時にこれは、客側のちょっとしたエチケットという見方も出来ます。
例えば、記者がアーティストにインタビューする時、過去にどんなヒット曲があり、どんなドラマで何の役を演じた…などということを知った上で、敬意を払いつつマイクを向けるでしょう。
記者がお客さんに代わったとしても、今日の役者について最低限の知識を持ってその芸に接することにより、客席と舞台が良好な関係になる…とも考えられます。

結婚披露宴で、司会者が新郎新婦の生い立ちを紹介する場面があります。
初めて会う相手方親族に対し、自分はこんなに立派な人物です、どうぞご心配なく…と説明しているようでもあり、見方によっては実に「楽しめる時間」です。
多くの場合、嘘にならないギリギリの言い回しで、飾られた言葉のオンパレードとなります。
演奏会なら今宵限りの対面かもしれませんが、結婚はこれから濃く永くお付き合いするわけで、すぐに色々とバレてくると思うのですが…。

滅茶苦茶詳しいプロフィールを掲載する人がいます。
長い話が苦手な私は見ただけでうんざり。
それも含めてその人の表現行為の一部なのでしょう。
今日は、音楽を聴きに来たのか伝記を読みに来たのか…。

周囲のことばかり書いてあるプロフィールがあります。
著名人や著名作品の固有名詞を幾つも挙げながら、よくよく読めばそれらとは直接の関わりは何もなし。
日本には、「つまらないものですが」と頭を下げて物を差し出す、奥ゆかしい文化があります。
「ささやかな演目ですが一生懸命稽古しました…」という空気の中で、私は一期一会の至福の時を共有したいのです。

そうなると、もういっそプロフィールなし、今日のこの出し物だけを受け止めてくれればそれでもう十分…とも思います。
多くのライブハウスはこの方法で回転しており、すがすがしさを感じるくらい。
しかしながら人間は身勝手なもので、その状態が長く続くと話は最初に戻るのです。

(…どうぞ最初に戻って何回でもお読みください。)

2015/11/12 杜哲也


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