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【第68回/キース・エマーソン】

この際、私にとって彼がどんな存在だったのかを書いてみます。

ジェフ・ベック、リッチー・ブラックモア、デュアン・オールマンなど、ロックの世界はどうしてもギター中心になりがち。
そこに、「ギターの入らないロックはこうなる」ということを実証してくれました。

そもそも洋楽アーティストの動画なんてめったに観られない時代ですから、NHK「ヤング・ミュージック・ショー」で、大きなオルガンに馬乗りになって演奏する姿は、中学生の私にとって計り知れないインパクトがありました。
…全く、あんなことやりながらよくぞ演奏してくれたものです。

彼のワイルドなプレイは、鍵盤楽器というものに対して「ピアノを習う女の子」というイメージを完全に吹っ飛ばし、ギターを叩き壊すピート・タウンジェントと対等な存在になりました。

加えて、ムソルグスキーもバルトークもヤナーチェクもコープランドも、最初の出会いはすべてキース・エマーソンのキーボード。
世に言う「原曲」は私にとっての「編曲もの」であり、キースのキーボードこそが「原曲」なのです。
…全く、うまいこと騙されました。

その頃から、私の中でぼんやりとイメージされていた何かは、世俗文化がアカデミズムに裏付けされた時にとてつもない大きな力となる…という形で確信に変わりました。
私にとってキース・エマーソンは、正にその原点となる存在です。

本当なら今頃日本にいて、来週からの東京ミッドタウンでの公演が直前だったはず。
どうやら銃で自分の頭をぶち抜くというのは、なかなかの「高等テクニック」らしいのです。
もし「失敗」でもしようものなら、不細工なまま、あの世にも行けない状態だったかもしれません。
…全く、最後まで凄いことをやって見せてくれました。

71年間、本当にお疲れ様でした。
そして、素晴らしい音楽を沢山聴かせて頂き、本当に有難うございました。

2016/04/13 杜哲也


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