column
【第71回/NHK受信料】
念のため最初にお断りしておくと、私はNHK受信料を滞納なく納めています。
質の高い番組制作には費用も掛かるでしょうし、民放にはない落ち着いた空気感にはリスペクトも感じています。
単に、受信料というシステムが嫌い…というだけのことです。
終戦直後とは違い、今は放送局というものが沢山あります。
数ある放送局の中で、NHKだけが相も変わらず受信料という特異な収入源に頼って運営され続けています。
そしてこの既得権を死守すべく、放送法を盾にしたおびただしい数の集金人たちが日本全国で連日個別訪問を繰り返しているのが今の状況。
これをアナクロと言わず、何と言うのでしょうか。
少なくとも、巷で噂される憲法よりは放送法を先に改正すべきでしょうし、末端の貴重な労働力は他の有意義な産業に向けられるべきでしょう。
受信料を払っている多くの人たちは、単に前年度と同じことをしている方がラクチンだから払っているだけで、現行の放送法を支持している訳ではありません。
そもそも、取立人を直接訪問させて集金する…という方法や、見知らぬ人から「お宅にテレビはありますか?」…なんて問われること自体、実に不愉快な話。
もう、一部の金持ちだけがテレビを持っている時代ではありません。
日本の標準的なご家庭は受信契約を既に済ませており、前年踏襲で「ラクチン」をやっているだけ。
今、取立人の不意打ち訪問に遭っているのはいわば社会的な弱者たちです。
また、「放送・受信」という関係は、物流業界の「発注・納品」という関係ではありません。
床屋の待合室に、新聞や雑誌が沢山置かれていれば、そりゃ手に取って読みますよ。
茶菓子があれば、手を出すかもしれません。
それを陰から見ていて、「はい、あんた食べたね…」と指摘されている感じ。
「他の菓子はタダだけど、この煎餅だけはジュシンリョウが掛かる…」と言われてもねぇ。
ワタシは特に発注してませんし…。
私が受信料システムに腹を立てるのは、放送というお仕事が表現活動のような発信する力…、それも、とてつもなく大きな発信力を持っているからです。
民放の皆さんが、番組制作費を獲得するための努力は、視聴者(=客)には迷惑を掛けない…というルール内で行われています。
各番組は、客からの発注を受けて作られている訳ではありませんから、実にすがすがしい姿。
NHKのやっていることは、番組は視聴者が購入するもの…という視点で成立しているにも関わらず、肝心の客は誰一人として発注していません。
「オメ~ラ、この街で商売すんならよ、ウチからおしぼり買わなきゃ許さねえぞ…」と言われているに等しい状況…、と感じるのですが。
2016/07/22 杜哲也
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