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【第76回/宮田とも子さんのこと】

宮田とも子さんは、私より幾つも年上でしたので、知り合った時の彼女は既に実績豊かなプロの歌手でした。
マーサ三宅さんの文字通り「愛弟子」のお一人。
大変チャーミングな歌声を持つ、素晴らしいジャズボーカリストです。

歌舞伎町のジャズ喫茶「木馬」でウエイトレスをしながら歌手活動をしていた…という独身時代のことは存じ上げませんが、お二人の娘さんの育児が少し落ち着いた頃(…と思います)、彼女が活動を再開する時に出会いました。

弾き語りのお仕事も多数こなしていた彼女に対して、当初の私は、おこがましくもピアノ伴奏のノウハウを偉そうに話す、生意気な後輩でした。
そのうちに、宮田さんご本人の伴奏はもとより、彼女を慕う沢山のお弟子さんたちの集まりにも呼んで頂いて、ピアノを弾くようになりました。

私が、宮田さんの歌声に対して特別な想いを持ち続けているのは、彼女が50代という若さで天国に召されてしまったから…ということだけが理由ではありません。
彼女の伴奏をしていると、音楽…とりわけ歌に対する愛情や熱意というものが、あの小さな体からは想像も出来ないくらいの大きさで、いつもこちら側に伝わってくるのです。
そして、そのことは日常的な場面においても全く同じ。
彼女の声や笑顔によって、どれだけの幸せや勇気を分けてもらったことか…。
これは、私の考える音楽というものの本質にピタリと一致します。

…闘病生活ですっかりやせてしまった最晩年の宮田さんのレッスン中に東日本大震災が発生し、びっくりした顔でスタジオから飛び出してきたのを記憶していますから、あれからもう5年半。
私は今でも、宮田さんを通して知り合った多くの人たちと幸せな交流を持っていますし、お仕事をやらせて頂いています。
恐らく宮田さんも、そちら側でより多くの人たちに素敵な歌声を届けていらっしゃることでしょう。
どのくらい先になるか分かりませんが、いずれ合流させて頂きます。

年の瀬にあたり、尊敬する先輩ジャズミュージシャン、故・宮田とも子さんのことを書かせて頂きました。

→2016/12/20 杜哲也


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