column
【第80回/片耳続報】
片耳の聴力を失ってから分かったことを、みっつ書いてみます。
まず大きいのは、音の方向性。
その音がどの方角から鳴っているのか、全く分かりません。
電話機が鳴っていても、いつもの場所にないと出られません。
小銭を落とした時は、音を頼りに拾っていた…ということを初めて知りました。
不慣れな道を歩く時は、かなり気を遣います。
…特に困るのは、予期せぬ音に出会った時。
シマウマが、ライオンの音にいち早く反応してパッと走り出す…といったことが、片耳だと出来ません。
音の出所を目で確認するまでの数秒間、ある種のトランス状態となって固まるだけです。
次はやや難しいのですが、「音を選ぶ」ことについて。
…世の中は雑音だらけです。
そんな中、無意識的に自分に必要な音を選んで生活しているのです。
ところが、今の私はすべての音が画一的(モノラル)に聞こえ、そこに立体感(ステレオ)がありません。
「音を選ぶ」という能力がないのです。
雑踏の中は勿論ですが、意外と辛いのが人工自然を問わない風の音。
空気というものは、動くと必ず音を出します。
そして我々人類は、いつでもどこでも、動く空気(=風)の中で生活するしかありません。
「空気のような存在」という言葉は、最近の私にとって幾分意味が変わってきました。
最後みっつめは、反省の念を込めて書くのですが、人に接する時のこと。
片耳生活は、例え音楽家でなくとも十分な障害でしょう。
ただ、初対面の人や街中ですれ違う人にはそのことは全く伝わりません。
…人って、そういう存在だと思うのです。
つまり、それぞれがそれぞれの運命を背負って、その中で全力を出して生きる…、ただそれだけのこと。
そんな当たり前のことを、私に教えてくれました。
これからも可能な限り、音楽活動を続けたいと思います。
→2017/04/01 杜哲也
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