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【第93回/クラシックとポピュラー】

音楽には、学術と芸能の二面性があると考えています。
そして両者は、どちらもとても大切です。

学術面では、真理を追究する学者のような姿勢が求められます。
この面で評価されるには、ひたすら勉強を続けて真実に近づくしかありません。
そして幸運にもそこに辿り着いた時は、ゴールした者にしか分からない最高の幸福感に包まれるはずです。
一方の芸能面では、お客様に喜んで頂くことを第一に考えるサービス精神こそが最優先されます。
この面で評価されるには、とにかく沢山のお客様に満足してもらい喜んでチケットを買って頂く…これに尽きるでしょう。
そこには科学のような真理は存在せず、あらゆることを芸の肥やしにしながら技が磨かれていくことになります。

私は双方が大切と考えているので、二面性の一方に偏った音楽はどちらも大変苦手です。
勿論「偏った」というのは主観でありその判断は人によると思いますが、一般論としては、クラシックが学術優先でポピュラーは芸能優先、と言って差し支えないでしょう。

もう10年以上前ですが、とあるピアノ雑誌に「ポピュラー音楽は、とにかく“自分流”の演奏を見つけるのがイイ!」という内容の記事がありました。
ジャズピアニストの国府弘子さんによるものです。

全く同感です。
それ(=自分流)を見つけるには、当然勉強もしなくてはなりません。
そしてその勉強スタイルは、上から提供されるのを待つのではなく、自分から必要なものを獲得しに行くスタイルになります。
これは、当然ながら“学校”という枠組みに収まりにくいものになることは言うまでもありません。
日頃から、両者の文化の違いを感じることは多々ありますが、そのあたり(=勉強のスタイル)に根本原因がありそうな気がしています。

→2018/05/03 杜哲也


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