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【第99回/7000人を袖にしたジュリー】

沢田研二さんは、大好きな歌い手さんの一人です。
1フレーズ聴けば、すぐにジュリーと分かる凄い表現力。
私にとっては、小学生の時に出会ったザ・タイガースから50年にもわたって常に「そこにいる」人で、存在そのものが日本の芸能界を象徴しています。
(…余談ながら、中央公論11月号に掲載の「クラシック音楽家よ、まずは芸人たれ」の一文は秀逸です。音楽学者の岡田暁生さんによるもの。)

集まってくれたファン7000人を、開演1時間前に帰す…というのは何とも滅茶苦茶なお話。
スタッフの方々のご苦労は、察するに余りあるものがあります。
数日後ご本人のぶら下がり取材を見る限り、彼の中にも申し訳なさや気恥ずかしさがあることは十分に感じました。

ところで、シリアからジャーナリストの安田純平さんが解放されたのは、この出来事から約1週間後のことでした。
安田さんは、日本政府による再三の注意勧告にも関わらず不安定な地域に行って拘束され、その後、多くの関係者の尽力によって救出されました。

私はジュリーの歌声は十分に知っていますが、安田さんの文章は読んだことがありません。
どうやら、日頃から日本政府に対してかなり手厳しい文章を書く人だったようです。
記者会見での安田さんは、ジュリーと同じように…いやそれ以上に「滅茶苦茶恥ずかしかった」ものと想像します。

何故か私は、このふたつを比べてしまいます。
人間って、こんな存在だと思うのです。
ジュリーは、騒動直後の大阪公演で、早くもファンによって温かく迎えられています。
安田さんにも強力な支援者が大勢いて、彼らからは英雄扱いされています。

恥ずかしい…という理由からやらないで終わる人生より、分かっちゃいるけど恥を忍んで前に進む…そんな人生に私は憧れます。
むしろ私の中にある「恥ずかしさ」は、二人のような「ドでかいこと」をしでかす能力のなさ、そこにこそ存在するのです。

==================== 2018/11/12 杜哲也


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