column
【悪いことをしない人】
悪いことをすると、当然ながら怒られます。
子供の頃からの定番です。
人間誰しも、怒られたくはありません。
多くの場合、成人するまでには社会のルールを一通りわきまえるようになります。
大人になってから、懲りずに悪いことをすると、法に基づいて罰せられます。
そして、それよりもっと恐いのは、マスコミによる吊るし上げ状態。
コメンテーターや評論家による総攻撃は、裁判官から言い渡される刑罰より、遥かに大きな抑止力になります。
このままでは、「悪いことをする人」がどんどん減っていく気がします。
言い換えると、「悪いことをしない人」が増えると思います。
…どうも腑に落ちません。
世の中、ことの良し悪しがはっきりしていないことの方が遥かに多いからです。
皆、それぞれの立場から、その人の信じる価値観が社会のスタンダードとなるように努力しているのです。
少なくとも、私はそう思いたいです。
「悪いことをする人」の中には、大きなエネルギーを持つ人がいます。
自分の主義主張がその時の社会で少数派だったり、表現方法がやや粗削りだったりして、不幸にも裁かれたり叩かれたりするのです。
一方、「悪いことをしない人」の多くは日和見です。
誰しも(…勿論私も)、自分を利害関係の及ばない第三地点に置いて事態を観察するのは、ラクチンに決まってます。
しかし、人類の歴史を作ってきたのは、明らかに前者です。
男しか投票出来なかった時代、女性の選挙権獲得に奔走した人たち。
禁酒法の時代でも、酒を提供し続けたバー。
天動説の時代、地球が動く…と言った学者。
コメ配給制の時代に、闇米を流し続けた運送業者。
…彼らのエネルギーによって、時代は前に進むのです。
極論するなら、「悪いことをしない人」は大して良いこともしません。
何故なら、この世には「何かをする人」と「何もしない人」、この2種類が存在するだけなのですから。
2011/09/01 杜哲也